観光都市京都
知られざる戦争遺跡 ~陸軍基地だった深草~

  • 師団街道の看板

    現代に残る「師団街道」の名

 今年は戦後70年の節目の年だ。そこで戦争について考えてみたい。本学も位置している京都は、一般に空襲などの戦災を被ることがなかったと思われており、戦争と関連付けてイメージされることは少ない。

 しかし、京都も他の大都市ほどではないが、1945年の1月から6月にかけて5回にわたって空襲の被害を受け、多くの民間人が犠牲となった。それは、京都が原爆投下の目標都市とされ、空襲が禁止されるまで続いた。だが結果的に、京都に原爆が投下されることはなく、現在まで多くの文化財が残り、多くの世界遺産を擁し世界的な観光都市となった。原爆が投下されなかった理由は諸説あるがはっきりとは分かっていない。

 現在の観光都市京都のイメージからは想像もつかないかもしれないが、戦前の京都、特に伏見の深草一帯には帝国陸軍第16師団が設置され、軍都と呼ばれるほど軍事施設が集中していた。2万5千人を超える将兵が当時の伏見にはいたのだ。本学深草学舎が位置している場所も当時は、旧陸軍の施設があった。それらの軍事施設は敗戦とそれに続く軍の解体に伴い管理が陸軍から米軍へと移り最終的に民間に利用されることになった。現在では、住宅地、農地、そして本学のように大学などの教育機関が立地している。多くの軍事施設がさまざまなものに転用され面影はあまり残っていない。だが、街中を注意深く探すと遺構を見つけることができる。いくつか紹介しようと思う。

 本学深草学舎の東に面する道は師団街道という名前が付けられている。この道は北は塩小路通から南は伏見の京町通につながる道だ。また、深草学舎の南に面する道は第一軍道と呼ばれており、師団街道と共に陸軍に名前を付けられている。

 これ以外にも深草には陸軍の遺構がある。もし興味があれば探してみてほしい。

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